2014年11月9日日曜日

題名未定の時代小説 第一話 東風 その2

東風 2/9


 父、清之介が卒中で倒れたのは、そんな満たされた日々を送っていた真之介が十八歳を数えた夏のことであった。
幸い一命は取り留めたものの、中風を患い、起き上がった時には満足に働くことすら叶わぬ身体となっていた。

 医者にかかれば金が飛ぶ、薬を買えば金が飛ぶ。

働けなくなった父の分まで、真之介は身を粉にして働いた。
木剣を振る暇さえなく仕事に忙殺される日々を送るうち、真之介の中から、いつしか剣への情熱が消え失せていた。

否、名声と栄光への渇望から目を背け続けるその苦しみに、あるいは心の内の何かが壊れてしまったのかもしれない。

自然、剣友とは疎遠になり、道場へ足を向ける事すら無くなっていった。


 ただ、生きることに追われる四年の歳月が過ぎ、真之介が二十二歳になった早春の夕べに、清之介は息を引き取った。
眠るように、静かな最期だった。

真之介は、泣くことが出来なかった。
取り乱すことすらなかった。
感情を殺すことに、慣れ過ぎたのだろう。

 長屋の精さんが亡くなったと聞きつけ、多くの人々が駆けつける。皆、何かと二人の暮らしを支えてくれた恩人達だ。
涙を流し父の亡骸に手を合わせる彼らを見ながら、真之介は泣く事すら出来ぬ自らを恥じ、悔しさを噛み締めた。

人の良い大家の計らいで、ささやかながら父を弔うことは出来たが、亡骸を納める墓だけはどうすることも出来なかった。
筵に包んだ父の亡骸を背負って家を出たのは、ほんの数刻前のことである。


 亀戸の街道から外れた小高い丘に父の亡骸を埋め、河原から運んできた一抱えの大きさの石を置き、卒塔婆の代わりに木剣を地面に突き立てる。
(まるで俺の人生への墓標のようだ)
そんな想いが真之介の中には芽生えていた。

真之介は決して路頭に迷ってはいなかった、仕事も得ることは出来るだろう、親身になって支えてくれる人達もいる。
ただ、人生に標を見出すことが出来なくなっていた。

情熱を失い、感傷を失い、家族を失い、
(今の俺に何が在るのだろう)
行く場所さえ知らず、真之介は歩き続けた。

 冷え切った空気は澄み渡り、空は満月の光を余す事無く湛えている。

頭の中には言葉に出来ない感情が渦巻いているが、それが何なのかを思い出すことが出来ない。

 思いは千々に乱れ、無数に広がる星の如く散らばって、瞬いて、
 言葉は風に流され、木っ端の如く儚く、彼方へと吹き過ぎて行き、

過ぎ去った時間と取り残された自分を思い、夜空に一つ浮かんだ羊雲を見上げては、真之介は己の姿を重ね合わせるのだった。

土埃が舞い寒風吹き荒ぶこの場所は、どうにも自分に似過ぎている。

小川のせせらぐ音を聞き、真之介は道を離れた。
流れる水に触れ、その冷たさを感じ、漸く自分が生きていることを思い出せた気がした。
夜気に晒され冷え切った身体が、思い出したように震えだす様が、どうにも可笑しくて笑みが零れた。

 月明かりに煌く川面の先は闇に包まれている。
夜明けの光はまだ遠く、そして何故か恐ろしいもののように思えた。




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