2014年11月9日日曜日

題名未定の時代小説 第一話 東風 その6

東風 6/9
その7


「危ない!」
娘の警告の声が闇の中にこだまする。
真之介が傍らに置いた脇差を手に取り構えた。

(まだ、この暗闇の中に何かがいる)

真之介ほどの達人であってもその気配を感じられぬ程の何かだ。
と、闇の中、遥かに高い梁の上から、ひょいと放り出されたものがある。
廃屋の出入り口から差し込む光の中に落ちたそれは、黒漆で塗られた短弓と三本の黒い矢に見えた。

「怪しいものでは御座いません、どうか刀をお納め下さい」
またしても若い女の声だ、だが後ろの娘ではない、闇の中より聞こえてきている。
「何者だ、姿を見せろ!」
暗がりに潜む何者かに向かって真之介が叫ぶ、無論、この状況で刀を納めるほど御人好しではない。

暗闇の中で何かが光った。
二つ並んだそれは、人の目の様にも見える。
その二つが“ぱちくり”と瞬いてから再び闇に消え、とん、と、軽い音がを立てて土間の片隅に土煙が舞った。

明かりの中に現れた者は、黒装束に黒い頭巾を被っている。

(矢張り賊の仲間か)

真之介の身体に緊張が走り、脇差を握る手に力が篭る。必殺の間合いにはまだ僅かに遠い、あと二歩、せめて一歩でも踏み込めれば勝機はある。

しかし黒装束は思いもよらぬ行動に出た。
顔を隠す頭巾を剥いだのである。


 頭巾の下から現れたのは女の顔だった、しかも随分と背が小さい。
「この通り、決して怪しいものでは御座いません、私は御休息御庭番の美奈と申します」

真之介は驚いた、まず顔を隠す頭巾を脱ぐということは自らの素性を晒すことに他ならない。
悪党であるならば顔を隠すか、顔を見た者を皆殺しにするかのどちらかで対策を講じるものだ。

次いで、この女の名乗りにも驚かされた。
御休息御庭番いえば将軍直属の間諜であり、伊賀者の血を引く生粋の忍者集団でもある。

「どうか刀をお納め下さい、私は貴公の後ろにおられます方を追って参ったのです」
女の言う事が真実とも思えぬが、女の行動の意図は測りかねる。
真之介が目だけで背後の娘を見ると、娘は確かにこちらの目を見て、静かに頷いたのだった。

一先ず真之介も脇差を納める。
ただし、その爪先には力が籠められており、いつでも一足飛びに相手の身体を抜き打ちで払えるよう備えてある。

「先程も申し上げました通り、私は私は御休息御庭番の美奈、卒爾乍ら貴公の御名前をお聞かせ願いたい」
「某は本所深川が素浪人、岡田真之介と申す」

「岡田様、此度の御活躍、しかと拝見致しました、貴公の後ろに在らせられるは将軍様が第三子、美菜姫様に御座いまする」

 一瞬の静寂が訪れた後、真之介は全身が粟立つ感覚に襲われ、そして反射的に土下座の姿勢をとっていた。
これは武士の性であり、江戸に生きる全ての人間に刷り込まれた本能でもある。

武家社会において無礼とは礼の仕方一つを間違えただけでも無礼打ちにされかねない行為である。
ましてや将軍家の姫ともなれば最敬礼である土下座の姿勢をとるのは極々自然な反応と云えるだろう。

「暫し待て」

埃の舞う土間に美菜姫の声が響く、それだけで凛とした空気が張り詰めた。
美奈が姫に何事かを囁いているのが聞こえたが、何を言っているのかは聞き取れない。
土間の土を見詰めながら、真之介は自分の首筋に冷汗が伝っているのを感じていた。

0 件のコメント:

コメントを投稿