2014年11月9日日曜日

題名未定の時代小説 第一話 東風 その8

東風 8/9
その9


 再び、真之介は頭を下げた、
「故に、此度の御提案、辞退申し上げたく……」

「のう、岡田よ」
言葉を遮られ、思わず姫の顔を見上げる。

「死んではならぬぞ」

慈愛の笑みを浮かべる姫から放たれた言葉は、痛烈であり鮮烈だった。
真之介の胸に再び宿った情熱の、その裏側に流れる切々とした死への渇望を、見透かされているような気がした。

「行く宛も無く彷徨えど、お主は妾に辿り着いた、生きる標が在らずとも、命さえあれば、人は何処かへと辿り着けるのだ」

「決して、死んではならぬ、その腕、その心、その剣を、存分に人の役に立てるのだ。そして己が生き方を見つけよ、それこそが父御に対する最上の供養とも云えよう」

真之介は平伏した。
言葉が見つからなかった。
ただただ、頭が上げることが出来なかった。

それは敬意であり、推尊であり、欽慕の情であり、あるいは幼子が母に向ける無上の愛にも似ていた。


「妾はここで迎えを待つゆえ、お主は家に帰るがよい」
かまどの上に腰を掛け、姿勢を崩した姫が真之介に声をかけた。
「此処におっては無用な疑いをされかねぬ…世話役が少々過保護に過ぎるのだ」
「しかし……よろしいのですか?」
「心配には及ばぬ、賊の残党が居ようと美奈が命に代えても守ってくれるだろう」
姫が横目に、黒装束の小娘を見遣る。

「同じ過ちを二度も繰り返す程愚かではあるまい? のう、美奈?」

姿勢を正した美奈の顔面が蒼白に変わった。どうやら此度の誘拐の原因に一枚噛んでいるらしい。

「それでは、失礼仕る」
真之介は土下座の姿勢を崩し立ち上がった。

「くれぐれも、壮健にな」

最期に深々と一礼をして、真之介は廃屋を後にした。


 いつの間にやら、夜明けが迫っている。
山際からは光が溢れ、明けの空を金色に彩り、千々にちぎれた雲が、光に追われるように空の端から端へと駆け抜けて行く。
役目を終えた満月がほの白い輪郭を覗かせる西の空と、その場所に僅か光る星達も、一刻もすれば全て塗り替えられ春の色をした青空へと変わるだろう。

既に農家からは勤勉な農民達が姿を現し、いつもと変わらぬ、けれども新しい一日の始まりを感じている。
噂に名高い龍臥梅の香りをのせて、春を告げる東風が江戸の街を駆け抜けた。
早春の朝は爽やかに訪れる。

目くるめく緊張の連続に、身体は重かったが、真之介の心はどこか軽かった。

 一先ず、町に帰りひとっ風呂浴びて、深く、深く眠りにつきたい、そういえば、腹も減っている。
家と、そして街への恋しさを感じながら、家路につく真之介を、夜明けの温かい光が照らしていた。




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