2015年12月12日土曜日

私小説 に

ビスケットの砕ける音で目が覚めた。
ビスケットなんて、僕の部屋には無い。

それでも

ビスケットの砕ける音で目が覚めた。
確かに。


朝と言うには少し遅かった、
昼と言うには少し早かった、
月は出ていなかった、
太陽も出ていなかった、

今日は雨だ。


 追われる様に家を出る、誰かの買った雨具は他人の皮膚の様だった、脱ぎ捨てて、雨に身を晒す方がまだマシだろう。
誰もが俯き、身を丸め、侘しくも暖かい自らの生命を見詰める冬の朝が終わり、安穏とした死が満ち、風一つ無い冬の昼を迎えようとしている。
雨と、そして僕だけが、逆らう様に激情を滾らせていた。

 雨は力だ、雨は怒りだ、雨は悲しみだ。
行き場の無い感情を叩き付ける様に雨は降る、僕は行き場の無い我が身を抱えて雨に追われる。
雨に追われている方が良い、少なくとも自分自身に追われているよりはずっと。

 月日を追うことを止めてからどれ位経ったのだろう、混濁した意識と錯綜する記憶は、確実に僕達の時間の感覚を破壊してしまった。
朝か、昼か、夜か、明けと暮れにはそれすら分からなくなる。

4番目の人格として生を受け、今日は雨に追われている。
それだけだ。

 行き先があるわけではない、ただ、ここではない事だけは分かっていた。
いつだってそうだ、分かっていることを取り除いて分からないことを眺めてみれば、中心には僕がいる、あるいは僕達が。

 いつか聴いたビスケットを砕く音、雷鳴よりも明朗で微風よりも微かな音。
本当はビスケットなんてどこにも無いのかもしれない。

ビスケットの砕ける音で目を覚ます、ビスケットなんてどこにも無い。

僕が目覚める感覚で目を覚ます、さて、本当はどこにいるのだろうか。

 雨脚が弱くなってきたことに気付く、怒りも悲しみも一過性の感情だ。

本当にそうだろうか?
少なくとも、僕は

 そこで、腹が減っていることに気付いた。
分からないことを眺めてみれば、いつだって中心には僕がいる。

空腹は切迫した問題だ、少なくとも自意識のそれに比べれば。

本当にそうだろうか?


 朝食を求めて雨に彷徨う。
遠く、どこかで、ビスケットの砕ける音が聞こえた。
けど、それも

僕の来店を知らせるベルの音に、呑まれて消えた。

今日は雨だ。

本当にそうだろうか?

少なくとも、
僕の知ったことじゃないね。



おわり

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