2016年3月28日月曜日

私小説4

繰り返すパターンの内部には悲しみが満ちていた。
巡り廻る日常の中には苦しみが満ちていた。
街を満たすこの空虚も、本当は空虚なんかでは無いのだろう。
ただ、名前をつけられないものの存在を、多くの人は感じ取れないだけなのだ。


私たちには名前が無く、私たちには名前が無かった。
名前を名乗ろうかとも思ったが、止めておくことにした。
定義付けするにはまだ、私たちの備考欄は余りにも白すぎたからだ。


世界は悲劇で満ちている、例えば私たちの存在、例えば私たちの命、あるいは私たち。
悲観をやめて冷静になってみようか、さても、哀れで無意味な命が一つ取り残された。
それが全てだ。


繰り返すパターンの内部には悲しみが満ちている。
空気の色を見られない人々はそれを悲しみとすら名付けられない。
空気の匂いを感じ取れない人々は、それが涙の前に感じる、鼻の奥の痛みの正体だとは分からない。
うずを巻くように悲しみは空に吸い上げられていくが、それで悲しみの総量が減るわけではない。


悲しみを嘲りながらタップを踏んでみると、意外にもこれは小気味良い。
人生を踏み均し、死んだ犬の如く扱うことにも楽しみは見出せる。
私たちは死んだ犬だ。


夜半を掻き乱す謎の大音声で目覚めてみても、結局夜明けまでの距離は変わらない。
それは無限だ。

命が有限なら、きっと夜は明けないのだろう。


苦しみのアウトラインをなぞる行為に意味など無い、ぼやけた輪郭の定義ではなく、明確な深奥にこそ価値がある。
即ちこの命の無意味がそこには眠っている。

暗闇に溶けるものの存在を光は照らし出せない。

暗闇に溶けるもの、されど暗闇ではないもの、光と呼ぶ定義の暴力に屈しないもの。
目を閉じることだ、認識ではなく知らねばならない、この世界の全てが、魂に触れる手段から遠ざかりすぎている。


”わたし”の形を解き放たなければ、暗闇に溶けることは出来ないだろう。
暗闇に溶けた後、跡形も残らないわたしがそこには在る。

どうぞ、空虚と呼んでみたまえ、鼻で笑ってやる。