2016年5月6日金曜日

心が死に向かう原理、あるいは生からの逃避に関する考察。

 みんなが自分の死を手にとって、覗き込んでみたら分かるんじゃないの。

できればって話だけど。

 結局、光ってのは存在の表面をなぞるだけなんだよね。
だから本当に何も無い空間に光を当てても、見えるものは何も無い。
宇宙の暗黒にだって暗黒物質は存在するけど、自分の死の内側には本当に何も無いよ。

 自分の死の内側に意識の光を当てて、そこに何も無かった時の恐怖ってのはきっと、あの人には死んだって分からないだろうね。


 死が目の前に、目を逸らすことすら出来ないくらい近くに転がっていて、それが日常化してくる。
そうすると、生きることが辛くなり過ぎて、自分という存在が何も無い未来に安らぎを見出す瞬間が来るんだよね。

 ああ、もう存在しなくていいんだな っていう安心感を、いつか自分の死の内側に見出すようになって、その思考そのものに恐怖するようになる。

結局、死を受け入れるより先に生に絶望するんだよね。
死にたいわけじゃないけれど生きることが辛すぎるって気持ち、今なら簡単に説明できるよ。

まあ説明できたところで、山中崇裕さんを殺したあの人には理解なんて絶対に出来ないんですけど。

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